3-1. リウマチとの出会い
番外編★ブログ再開
眠れない夜中にこんばんは。(誰に向けての挨拶かは不明)
ひさしぶりにブログを開いたら、4ヶ月も更新していなくてびっくりしました!
せっかく作ったのでまたポツポツ書いていきたいと思います。
この4ヶ月の間で薬が変わったり、症状にも変化があったりしたので、後々書いていこうと思います。
自分の備忘録なので。大人になっても忘れないためにね。
あ、もうかなり大人だった!!!
(28歳と6ヶ月)
2-3. ロキソニン中毒
久しぶりにブログを更新します!
時間が空いた感覚はありましたが、まさか8月に入ってから初めての更新だとは思いませんでした。
続きです。
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毛布も持ち上げられない、歩けない状態で、どうやって過ごしていたのか・・・
この頃は毎日痛み止めを飲んでいました。
生理痛がひどいため普段から、飲みなれていた市販のロキソニンSを毎日服用していました。
これです。
この薬は「1日2回まで、痛みがひどい時は3回までOK」的な用量でしたが(テキトー)
私は1日に4〜5回飲んでいました。
異常ですね(笑)
朝起きた時の痛み軽減のため、寝る前に1回
朝起きて1回
お昼頃1回
夕方に1回
といったペースで飲んでました。
「4時間あける」という部分だけは守っていました。
私の腎臓の強さには驚きです!
この頃は腎臓をいじめ抜いてました。
ごめんね、私の腎臓・・・
スズキ
2-2. 全く動かない体
前回は、痛みが手まで広がったところまで書きましたので、今回はその続きです!
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この時の私の体は、手首・肘・肩・膝・足首・足先に痛みがあった。
その時の生活はひどかった。
まず朝起きると、全身の関節という関節ががじんじんじんじん痛み熱を帯びていた。
当時は冬だったので毛布をかけて寝ていたのだが、目が覚めても体が痛すぎて、毛布を持ち上げられなかった。
毛布を持ち上げる力すら出せない痛みだった。
毛布を持ち上げベッドから出るのに15分以上かかっていた。
しかし、やっとの思いで毛布を持ち上げ布団から出て立ち上がっても、足に激痛が走り歩けない。
ベッドから出て洗面所までのたった数メートルを歩くのに、5分程かかっていた。
ペンギンみたいなよちよち歩きしかできなくなっていた。
朝早い時間に予定は入れられないし、友だちとの約束には2時間以上遅れることもあった。
本当に申し訳ないな、と毎回落ち込んでいた。
この時期にもし会社員として働いていたら、出社なんて絶対にできなかったと思う。
大学院生だったというのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
スズキ
2-1. 握力3
1-3で書いたように、私はダンロップ女子として華々しく生まれ変わった・・・訳もなく、ダンロップはやはり恥ずかしかった。
本当はヒールとかパンプスとかが履きたかったけど、足先や膝に負担がかかるため履く頻度をどんどん減らしていった。
というより、履けなくなっていた。
元々スニーカーは好きだったけど、この頃からスニーカーを買うことが増えた。
adidasやプーマ、リーボックやNIKE、NEW balanceなどなどほとんどのブランドのスニーカーを持っていた(笑)
足の痛みに苦しんでいたその頃、今度は急に手首が痛くなってきた。
原因が全くわからなかったのだが、そのことを整骨院の先生に伝えると
「原因がわからないと治療できないんだよね・・・」と言われ、無理やり理由をつけて治療を始めてもらった。
この頃は整骨院に行くと、椅子に座り足と手に電気を流してもらい、クリームを使って腕をマッサージしてもらっていた。
そして、手が痛くなってからは毎回握力を測るようになっていたのだが、その頃の握力は「3〜5」を行ったり来たりしていた。
元々の握力は30くらいあり、女性の中では結構強い方だった。
そのため、自分の身体異変が起きていることは明らかだった。
そして握力3という驚異的な数字からもわかるように、ペットボトルはもちろん開けられなかったし、フライパンや鍋が持てなくなり料理をする頻度も減った。
当時は料理が大好きでストレス発散の一つだったのに、料理をすることがストレスになっていった。
できることがどんどん減っていき、身体も日に日に弱っていった。
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思い返してみると、こんなにも身体に異変が起きているのに整骨院に通い続けている自分が馬鹿すぎると気付きますね(笑)
ちなみに最近は握力を測っていませんが、たぶん10くらいには回復していると思います。
スズキ
1-3. ダンロップ女子、爆誕。
股関節が痛くなり友人との約束をドタキャンしてしまったが、股関節が痛くなったのは唯一この日だけだった。
その日以来一度もないので、あれがリウマチの症状だったのかは謎のまま。
でも、その後も膝から下の痛みは相変わらずだった。
ハッキリとした時期は覚えてないけど、この頃から市販の痛み止めを飲み始めていた気がする。
生理痛もひどいので、普段から飲み慣れていたロキソニンをよく飲んでいた。
整骨院では、相変わらずテーピングと電気治療の繰り返し。
初めは足先だけだったので椅子に座って小さい機械を繋いでいたけど、膝が痛み出してからは、寝転がって腰から電気を流していた。
若い男の先生にパンツ&お尻を見られるのが、本当に恥ずかしかったのを鮮明に覚えている。
キャー!
整骨院での治療を続けていたところ、先生から「外反母趾を治した方がいい」と、中敷きを作ることをすすめられた。
そして、近くの整形外科に紹介状を書いてもらい中敷きを作りに行った。
そこでは、レントゲンを撮り、足の型をとり、中敷きが出来上がる!といった感じ。
確か2万くらいした。
整骨院に通っていた時の治療費(総額不明)とこの中敷きの2万は、私の人生で一番無駄な出費として語り継がれています。※諸説あり
足が大きいため中敷きも大きく、入る靴がなかなかなかった&足が本当に痛かったため、当時はかなり大きめの靴を履いていた。
なんと、オタク男子が履く靴の代名詞である「ダンロップ」である。
年頃の女子がこれを履いちゃうということは、どれだけ足の痛みがひどかったのかわかってもらえるでしょう(笑)
この靴を履いて、大学院に通っていた。
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この頃の私は、日に日に増す痛みへの疑問は持っているものの、自分の体が病魔に侵食されているとも知らずノホホンと過ごしていました。
自分の体への関心の無さがわかります。
しかしそんな私の体に、更なる異変が起こり始めます。
スズキ